読谷文の本棚

読んで心に残った本の感想を綴ります。

『ナチュラルボーンチキン』金原ひとみ|巨匠・金原ひとみからの中年世代へのエール

 

『ナチュラルボーンチキン』
金原ひとみ 著
河出書房新社
初版年月日 2024年10月3日


金原ひとみといえば、言わずと知れた小説界のスーパースターの1人だ。
『蛇にピアス』で2003年にすばる文学賞を受賞しデビュー、2004年に同作で芥川賞を受賞。当時20歳。
同時に、不登校をはじめとする家庭や学校との軋轢、といった生育歴を少し見聞きするだけでも、大変な半生だったのだなと思う。まさに「読むことと書くことでしか生きていけなかった」なるべくしてなった小説家なのだろう。

そんな彼女の存在を横目で見て知ってはいたものの、実際に私が初めて彼女の文章を読んだのは、2023年11月15日に朝日新聞に掲載されていた「母の仮面が苦しいあなたへ」という有料記事だった。
ワンオペ育児や産後うつ、周囲からの母親への抑圧的な視線が、これでもかというほど容赦なく書き綴られていた。その簡潔にして鋭利な言葉に、私は猛烈に打たれ、グサグサと刺されてしまった。こんなに凄い文章読んだことない。なんという表現者なのかと。

以下当該記事より引用
「母となってからのよりどころのなさは、どこにいても付きまとった。赤ん坊と閉じこもっていれば息苦しく、しかし外に出ても厳しい目が向けられる。たばこを吸ったり、飲み歩いたり、派手な服装をしても眉をひそめられ、30回中1回だけ配偶者に子供を病院に連れて行ってもらえば「お父さん偉いですね」という言葉をかけられ29回一度も褒めてもらえなかった私の立場は常になく、どこに行っても泣く子は煙たがられ、家でも外でも温かい飯にはありつけず、心なき育児ロボットとして扱われている気しかせず、いつしか自分もそう自己認識をしていた。」

✳︎

今回初めて読んだ彼女の小説、『ナチュラルボーンチキン』にも、否応なくその鋭利さは留められており、「うおお、金原ひとみ、相変わらずすげえ」と大いに唸らされた。

「もう刺激とかいらないんです」と言う実在の編集者をモデルにしたという、ひたすらルーティンの食事と動画視聴と仕事をこなす主人公の45才女性・浜野さんと、ホストクラブに通いスケボーに乗って通勤していたら捻挫をして3週間の在宅勤務を要求する入社5年目のパリピ編集者・平木さん。

同じ出版社に勤めながらも普段全く接触がなかった彼女たちは、ひょんなことから顔を合わせる羽目になり、その後週に2回ほど一緒にランチを食べる仲になって、浜野さんのルーティン厳守生活がいつの間にか乱されていき……という、ガール・ミーツ・ガール物語かと思いきや、読み進めていくと、そこに突如として「かさまし/まさか」(←回文)さんという、デスボイスで観衆を熱狂させ、美しいモッシュピットを作ることに心を砕くバンドボーカルが現れて、物語はまた違った方向に舵を切ってゆく。

浜野さんは言うのだ。
「でも、この歳で別れるとか、離婚とか、そういう大々的な崩壊を体験したら、私は壊れてしまうんじゃないかと思うんです。抽象的な意味ではなく、物理的に」(P116)

浜野さんはなぜ、自称「ルーティンゾンビ」と言うほどまでに、ルーティンを死守し、心の平穏を固持してきたのか?金原ひとみの怒涛の言葉に乗せられて、物語は展開してゆく。
そこには、かつて私が朝日新聞で読んだあの記事の片鱗がありありと込められていて、大いに衝撃を受けた。なぜなら私は、キッチュな装幀と、美味探訪な筆致、完全にふざけてるだろ!(←褒めてます)という名前の登場人物たち、などに完璧に騙されて可笑しがっていたから。

帯に書いてある著者の惹句「この物語は、中年版『君たちはどう生きるか』です。」は、まさに浜野さんのこれからに捧げられた言葉だと思う。
つまづいて、失敗して、心に大きな傷を負ったとしても、そこからまた歩き出すことはできるのだ。ルーティンを超えた一歩先に飛び込み、葛藤を素直に言葉にして出してみる、ほんの少しの勇気さえあれば。