読谷文の本棚

読んで心に残った本の感想を綴ります。

『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』村井理子|翻訳とエッセイ、そして書くこと

 

『エヴリシング・ワークス・アウト  訳して、書いて、楽しんで』
村井理子 著
CCCメディアハウス
初版年月日 2024年11月1日

ネタバレ度:★☆☆・・・後半に少しあるよ!未読の方は読んだらまた来てね!


本書は滋賀県在住の翻訳家でエッセイストである村井理子さんの、主にお仕事について書かれた本だ。翻訳家になった経緯や、実際の翻訳の仕事の工夫、エッセイの仕事のことなどが、シンプルな文章でわかりやすく書いてある(「翻訳互助会」めちゃカッコイイ!!)。
しかしながら、楽しいけれどもそれだけではない、厳しい世界を生き抜いてきた村井さんの工夫と決意が折々に混ぜ込まれ、不意のパンチを浴びせられる本でもある。同時に「病まずにいてほしい」という優しさも染みわたってくる。

私は翻訳書が大好きだが、外国語で書かれた本は読むことができない。
本書のタイトル「everything works out」の意味だって、ひとつひとつの単語は初歩的なものなのに、組み合わさって文になった途端にわからない。
※ちなみに「everything works out」→「すべてうまく行くよ」

だからこそ翻訳という作業は途方もなく大変で果てしない労力がかかる、ということだけはわかる。鈍器本なんて日本語で読むのも大変なのに、それを翻訳することを考えるだけで、目の前が真っ暗になってしまう。もし翻訳家の方がいなかったら、日本語で書かれたものしか読むことができず、それはどれほどさびしく彩りのない世界であることだろう。

仕事環境や印税の話から翻訳業界や出版業界の現状など、かなり具体的に書かれてあるため、翻訳家になりたい、という方には実務書として役に立つだろうし、私のようなただの読書好きにも、業界の仕組みなどに関して興味深く読んだ。というか、たいっっへんに厳しい業界で厳しい状況であることが、よおぉーくわかった。出版関係の皆さまへの感謝の念が改めて湧いてくる。

✳︎

村井さんの実兄が亡くなった時の5日間を記録した「兄の終い」という本があるのだが、それを書かれた時の経緯と心境が詳しく書いてある章がある。ただでさえ厳しい文筆の世界で生き延びるために必要な覚悟、それを村井さんは「努力と意地と戦略」とおっしゃっている。それだけ厳しい世界で生き残るんだという覚悟。ここもまた、襟を正される思いで読んだ。

村井さんの愛犬ハリー君が亡くなってしまったこと、村井さんが初めて韓国在住の韓日翻訳家クォン・ナミさんからメールを受け取って大変驚かれていたことなど、ひとつひとつのエピソードは村井さんのSNSやウェブ連載(ある翻訳家の取り憑かれた日常 - だいわlog /  村井さんちの生活 - 考える人)を読んで知っていた。ただ詳しい内容まではわからなかったので、それがこんな風に繋がっていたなんて、と本書を読んで初めて知って、大泣きしてしまった。

クォン・ナミさんも愛犬を亡くし、親御さんの介護をするなど、村井さんとの共通点が多くあったそうだ。ナミさんのメールの文面のなんと優しいことだろう。

「韓国で私は「日本のクォン・ナミ」と呼ばれているそうです。ナミさんは「韓国の村井理子」と呼ばれているそうです。だから、お互い頑張りましょう、私たち、たぶん、前世で双子だったから」(P102)

村井さんが翻訳を辞めようとまで思うほどの深い悲しみから立ち上がり、再び翻訳をできるようになるまでの道のりは、クォン・ナミさんとの不思議なご縁によって繋がれたのだ。まさに天の采配としか言いようのない「事実は小説より奇なり」だと思った。

『ナチュラルボーンチキン』金原ひとみ|巨匠・金原ひとみからの中年世代へのエール

 

『ナチュラルボーンチキン』
金原ひとみ 著
河出書房新社
初版年月日 2024年10月3日


金原ひとみといえば、言わずと知れた小説界のスーパースターの1人だ。
『蛇にピアス』で2003年にすばる文学賞を受賞しデビュー、2004年に同作で芥川賞を受賞。当時20歳。
同時に、不登校をはじめとする家庭や学校との軋轢、といった生育歴を少し見聞きするだけでも、大変な半生だったのだなと思う。まさに「読むことと書くことでしか生きていけなかった」なるべくしてなった小説家なのだろう。

そんな彼女の存在を横目で見て知ってはいたものの、実際に私が初めて彼女の文章を読んだのは、2023年11月15日に朝日新聞に掲載されていた「母の仮面が苦しいあなたへ」という有料記事だった。
ワンオペ育児や産後うつ、周囲からの母親への抑圧的な視線が、これでもかというほど容赦なく書き綴られていた。その簡潔にして鋭利な言葉に、私は猛烈に打たれ、グサグサと刺されてしまった。こんなに凄い文章読んだことない。なんという表現者なのかと。

以下当該記事より引用
「母となってからのよりどころのなさは、どこにいても付きまとった。赤ん坊と閉じこもっていれば息苦しく、しかし外に出ても厳しい目が向けられる。たばこを吸ったり、飲み歩いたり、派手な服装をしても眉をひそめられ、30回中1回だけ配偶者に子供を病院に連れて行ってもらえば「お父さん偉いですね」という言葉をかけられ29回一度も褒めてもらえなかった私の立場は常になく、どこに行っても泣く子は煙たがられ、家でも外でも温かい飯にはありつけず、心なき育児ロボットとして扱われている気しかせず、いつしか自分もそう自己認識をしていた。」

✳︎

今回初めて読んだ彼女の小説、『ナチュラルボーンチキン』にも、否応なくその鋭利さは留められており、「うおお、金原ひとみ、相変わらずすげえ」と大いに唸らされた。

「もう刺激とかいらないんです」と言う実在の編集者をモデルにしたという、ひたすらルーティンの食事と動画視聴と仕事をこなす主人公の45才女性・浜野さんと、ホストクラブに通いスケボーに乗って通勤していたら捻挫をして3週間の在宅勤務を要求する入社5年目のパリピ編集者・平木さん。

同じ出版社に勤めながらも普段全く接触がなかった彼女たちは、ひょんなことから顔を合わせる羽目になり、その後週に2回ほど一緒にランチを食べる仲になって、浜野さんのルーティン厳守生活がいつの間にか乱されていき……という、ガール・ミーツ・ガール物語かと思いきや、読み進めていくと、そこに突如として「かさまし/まさか」(←回文)さんという、デスボイスで観衆を熱狂させ、美しいモッシュピットを作ることに心を砕くバンドボーカルが現れて、物語はまた違った方向に舵を切ってゆく。

浜野さんは言うのだ。
「でも、この歳で別れるとか、離婚とか、そういう大々的な崩壊を体験したら、私は壊れてしまうんじゃないかと思うんです。抽象的な意味ではなく、物理的に」(P116)

浜野さんはなぜ、自称「ルーティンゾンビ」と言うほどまでに、ルーティンを死守し、心の平穏を固持してきたのか?金原ひとみの怒涛の言葉に乗せられて、物語は展開してゆく。
そこには、かつて私が朝日新聞で読んだあの記事の片鱗がありありと込められていて、大いに衝撃を受けた。なぜなら私は、キッチュな装幀と、美味探訪な筆致、完全にふざけてるだろ!(←褒めてます)という名前の登場人物たち、などに完璧に騙されて可笑しがっていたから。

帯に書いてある著者の惹句「この物語は、中年版『君たちはどう生きるか』です。」は、まさに浜野さんのこれからに捧げられた言葉だと思う。
つまづいて、失敗して、心に大きな傷を負ったとしても、そこからまた歩き出すことはできるのだ。ルーティンを超えた一歩先に飛び込み、葛藤を素直に言葉にして出してみる、ほんの少しの勇気さえあれば。

『成瀬は信じた道をいく』宮島未奈|成瀬あかりが帰ってきた!

『成瀬は信じた道をいく』
宮島未奈 著
新潮社
初版年月日 2024年1月24日


成瀬にまた会えてうれしい。
前作『成瀬は天下を取りにいく』に続き、第二作目の今作も主人公成瀬あかりの周囲の人々の視点で、成瀬の高三〜大学入学後の成瀬あかり史が語られている。
成瀬は常に世の中や人の役に立ちたいと思っていて、近所のときめき地区のパトロールをしたり、バイト先のスーパー「フレンドマート」で起こる事件でも大活躍し、活躍の場をときめき地区から大津全域に広めたいと、びわ湖大津観光大使に立候補し、大使になってからも成瀬の活躍は続く。
初対面の人間からは「変わっている」と悪印象を持たれがちな成瀬であるが、最終的には皆必ず成瀬の魅力にとりつかれて、成瀬のファンになってしまうのだ。


登場人物の魅力  

そんな非凡ぶりを発揮する成瀬とは対照的に、語り手として登場する人物たちは、いかにも私たちの周りにいそうで親近感を持てるし、成瀬とはまた違った魅力にあふれている。
幼馴染同士の成瀬と島崎の漫才コンビ「ゼゼカラ」に憧れて成瀬に弟子入りした小学生北川みらいや、成瀬とともにびわ湖大津観光大使に選ばれた篠原かれん、成瀬のバイト先のスーパーの常連客で、なにかと店に難癖をつけ「お客様の声」への投書を欠かさない呉間言実(くれまことみ)など、実に個性豊かだ。

本人達はいたって真剣であるがゆえの可笑しさもありつつ、それぞれの人物の心情であったり、悩みや葛藤がとても細やかに描写されているのが、本作の魅力であり読みどころのひとつだ。
小学生の北川みらいが陰で友達に成瀬を馬鹿にされて傷つくところや、母と祖母に続いて観光大使になるべく育てられ、大使になった後もその先の道をそれとなく敷かれそうになることに反発する篠原かれんの心情描写などが、相変わらず素晴らしかった。

成瀬の親友島崎みゆきが、「成瀬はいつか自分のそばからふといなくなってしまうのでは」との不安から、自分はその瞬間を見たくなくて、あえて両親の転勤に伴って大津を離れて東京の大学への進学を決めたのではないか、と思い当たるところは胸に迫る。
同時に成瀬本人もまた、北川みらいを励ますために「島崎が東京の大学に進学することが不安なんだ」とこっそり打ち明ける場面があって、ああ成瀬も私たちと同じ人間なんだと思わされ、なおかつ成瀬と島崎の友情の深さにも感銘を受つつ、読者はますます成瀬のファンになってしまうのだった。


『探さないでください』

圧巻は、最終章『探さないでください』だ。前作同様、これまで出てきた登場人物が集合する、という点のみならず、大晦日に「探さないでください」と書き置きを残して行方をくらました成瀬を皆で探すという、大変痛快な謎解きロード・ノベルとなっている。
第一作のタイトル『成瀬は天下を取りにいく』ってそういう意味だったの!?とか、確かに成瀬はけん玉をやっていたけど、それがそこに繋がるのか!という仕掛けがたくさん散りばめられていて、読み手のこちらは興奮冷めやらない。


滋賀のリアル

読書中にふと、びわ湖大津観光大使って本当にいるのかな?と思ってネット検索してみると、果たして本当に小説そのまんまのインスタグラムのアカウントが出てきて、まるで成瀬とかれんを実物化したのではないかと思うような大使2人がにっこり笑って写真に納まっており、驚いた。東京にあるアンテナショップ「ここ滋賀」というお店も実在しているらしく、小説と現実のリンク具合にちょっとびっくりしてしまう。
もしや「観光大使-1グランプリ」もあったりして?と追い検索してみたが、こちらは架空の設定のようだった。そもそも2025年の話でもあるし。
そんな検索をうっかり読者にさせてしまうほどのリアル具合が、この成瀬シリーズにはあり、これも魅力のひとつだと思う。


デビュー二作目

普通、デビュー作でヒットを飛ばした作家の第二作目となると、読む方もそれなりに期待と心配の入り混じる複雑な感情を抱くし、書く方も相当プレッシャーなのではないかと勝手に想像してしまうのだが、この成瀬の作者の宮島未奈さんにおいては、まったくの無用な心配だったようだ。
下記のインタビュー記事(東京新聞 2024年2月11日付)によると、成瀬シリーズは第三作もありそうで、今から楽しみだ。これからもぜひ素敵な作品を大事に出していってほしいと、読者は願うばかりである。

 

 

『夜明けを待つ』佐々涼子|生と死を見つめ続けた作家の珠玉のエッセイ集

 

『夜明けを待つ』
佐々涼子 著
集英社インターナショナル
初版年月日 2023年11月24日


「珠玉」とは、まさにこのエッセイ集のためにある言葉だ、と思った。

本書はノンフィクションライター佐々涼子さんのエッセイとルポルタージュをまとめた作品集だ。なかでもエッセイは、新聞に掲載されたものが多く、短い文字数の中に必ずハッとする箇所があり、一編の中に驚くほど深い世界が広がっている。

佐々さんは、学生時代にはスキー部に所属し、若くして母親になり、多くの試行錯誤の末に40代でノンフィクションライターとなった。『未来は未定』に書かれた「若い頃わけあって赤貧だった。」から始まる文章には、ノンフィクションライターになるまでの多くの過程が書かれている。

ツイッターのアイコン写真では穏やかな笑みを湛えている佐々さんであるが、本書に記された半生と、困難に立ち向かうさまは、破天荒で豪放磊落と言ってもよく、こちらの勝手なイメージを心地よく裏切られた気分であった。世界中の僧院に修行をしに訪れたり、ジムでバーベルを挙げたりと、逞しい。
しかし、そのような胆力がなければ、ノンフィクションライターという厳しい仕事を続けられるはずもなく、むしろ当然だとも言える。
かといえば『ダイエット』の中に書かれた「巨大な黒い丸」なんていうユーモア溢れる表現に、お茶目な部分も垣間見えたようで嬉しかった。

佐々さんがこれまで出してきた作品のように、本書のほとんど全てのエッセイには「生と死」が色濃く反映されている。どのエッセイも、繰り返し読みたくなる素晴らしい作品だ。

矍鑠(かくしゃく)とした祖父が描かれた『「死」が教えてくれること』。
妻の死の先の父を描いた『幸福への意志』。
今なお存在するであろう問題に、私たちの怒りを代弁してくれた『背中の形』。
頭の中で世界の美しさが煌めく『今宵は空の旅を』は大好きな一編だ。
『献身』に描かれた、ご両親のお人柄と、文学の本質→「児童文学なんてと下に見る人がいるかもしれないが、そこには人間の人生の核が描かれていて、大人の小説はそれらの無数のバリエーションにすぎない。」は、まさに、と思った。
中でも私の一番は、専業主婦の母と佐々さんの人生が交錯する『梅酒』だ。
「長い時を経ないと、人の営みの本当の意味はわからない。」

今年2024年の正月は、能登半島の地震と羽田空港の飛行機事故で、どうにも心が塞がれて仕方がなかった。自分の心を守るためなるべく見ないようにと思っても、ニュースやSNSで情報を探してしまうのを止められなかった。もちろん今なお苦難の最中にある被災された方や、遠い国で続いている戦禍の中にある人たちを思うと、やりきれない思いでいっぱいになる。

そんな中で、この「夜明けを待つ」を読んでいると、乱れた心がすうっと落ち着いた。地面に染み込んだ雨水が長い歳月と共に形作った静謐な鍾乳洞があって、そこに湛えられた泉を地下深くに降りて行って覗いてきたみたいだった。

きっとこの先、一生そばに置き、何度も読み返すであろう、そんなエッセイとルポルタージュだった。
佐々涼子さん、素敵な本をどうもありがとうございました。
私もこう言ってお別れします。
「ああ、楽しかった」

【追記】
著者 佐々涼子さんは2024年9月1日にご逝去されました。
ご生前のご功績を偲び、安らかであるよう心よりお祈り申し上げます。

『八ヶ岳南麓から』上野千鶴子|先輩の、山暮らし愛

『八ヶ岳南麓から』
上野千鶴子 著
山と溪谷社
初版年月日 2023年11月21日

 

上野千鶴子さんの、20年以上にわたる東京と八ヶ岳の二拠点生活を綴ったエッセイ。上野さんが私生活を書かれた本は、おそらく本書が初めてとのこと。

もうタイトルと表紙だけで、ちょっとうらやましすぎて鼻血が出そうなんだけれども、本が良すぎて、思わず丸善ジュンク堂で開催されていた刊行記念の著者トークイベントも視聴してしまった(美しいお庭の写真を見ることができて嬉しかった)。
 
四季折々の自然の美しさは言わずもがな、山暮らしの実際問題「これってどうするの?」へのtipsがたくさん書かれていて、実用書としても大変参考になる貴重な本だと思う。

土地探しから家を建てるまで。
(期間限定の中古も可、まずは貸別荘からのスモールステップを)
上下水道や、冷暖房、虫対策。
移動手段としてのクルマと運転免許証問題。
コミュニティはどうなっているの問題。
おひとりさまの最期問題。
色川大吉さんのこと。

合間に挟まれる鮮やかなイラストも素敵だ。
「大好きな北杜で最期まで」の章では、北杜市の介護事情の進化に触れられていて、その介護事業自体も素晴らしいし、それを立ち上げた看護師や医師の方たちのパワーが凄いなぁと圧倒された。

✴︎

人生を先行く先輩たちが楽しそうにしている様子を見るのは、とても励まされる。
私が目指す人生の先輩の二大巨頭といったら、橋田寿賀子さんと瀬戸内寂聴さんだ。お二人とも生涯現役で、書くことへの情熱を失わずに、筋トレやリハビリに励んでいた姿をテレビで拝見していた。

NHKで、沙知代夫人を亡くした野村克也さんと橋田寿賀子さんが対談していた番組を見たことがある。痛々しいほどにしおれてしまっているノムさんに対し、「元気があれば何でもできる!」と言わんばかりの橋田寿賀子さんがすごく対照的だったのを覚えている。

もちろん橋田寿賀子さんも瀬戸内寂聴さんも、非凡な才能と努力と体力と、それによって得た財力の持ち主で、凡人にははるか遠く及ばない存在かもしれない。
けれども、その心意気やスピリットを参考に、少しでも取り入れられることはないだろうかと考え抜き、手を動かすことならできる。少なくとも「あの葡萄は酸っぱい」とはなから目指さないよりは、いくらかマシなはずだ。
そう考えて毎日を生きている。

『一旦、退社。~50歳からの独立日記 』堀井美香|ジェーン・スーさんへのラブレター

『一旦、退社。~50歳からの独立日記』
堀井美香 著
大和書房
初版年月日 2023年2月16日

 

朝はラジオが流れている家庭で育った。チャンネルはTBSラジオ。

現在も放送されている朝の帯番組「森本毅郎・スタンバイ!」の前身である「鈴木くんのこんがりトースト」時代から聴いている。
夕方には、保育園のお迎えに来た母親の車の中で、夕飯前の小腹塞ぎに与えられたパンをかじりながら、カーラジオから流れてくる「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を聴くともなく聴いていた。
話の内容は全く覚えておらず意味もわかっていなかったと思うが、あのオープニングの三味線っぽい音色の音楽は、私の記憶の中で、えも言われぬ夕暮れの郷愁と強く結びついている。

そんなわけで、幼少期からTBSラジオにはずっと馴染みがあって、もしも自分が結婚披露宴をするとして、金に糸目をつけずに司会者をお願いできるとしたら、ぜひとも元TBSアナウンサーの遠藤泰子さんにお願いしたい、という妄想を抱いていたくらいだ(実際には式場と契約されている素敵な司会者の方にお願いした)。

そして、ジェーン・スーさん。
私が初めて彼女を知ったのは、例の「石神井川の奇跡」の写真とともに掲載されていたブログの「東京生まれ東京育ちが地方出身者から授かる恩恵と浴びる毒」という記事を読んだ時だった。キレッキレの縦横無尽な文章に、「すごい文章を書く人が現れた、酒井順子さんの再来だ、要チェックやわ!」と一人鼻息荒く感動していた。
それからあれよあれよという間に「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな 」「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題  」と飛ぶ鳥落とす勢いで著書が刊行され、「ほ〜うらね、やっぱり彼女はすごいなぁ〜」と旧知の友人を自慢するみたいに思っていた。

さらに月日は流れ、気づいたらTBSラジオで、かつての「大沢悠里のゆうゆうワイド」の時間帯に「ジェーン・スー生活は踊る」という昼間の帯番組の放送が始まっていた。1本のブログ記事を見かけた時から気になっていたその方が、著書を刊行し、ラジオのレギュラー放送のパーソナリティーとなるまでを、勝手に伴走していた気持ちになりながら、眩しく見つめていた。

そんな「生活は踊る」で出会ったのがTBSアナウンサー堀井美香さんだった。当初月曜から金曜まで、毎日違うアナウンサーの方がジェーン・スーさんのパートナーを務められていたのだが、金曜担当の堀井美香さんとの回だけは、やっぱり他の曜日と比べて異色だった。
「メタウォーターpresents水音スケッチ」で情感たっぷりのしっとりとしたナレーションを聴かせてくれる堀井美香さんが、ジェーン・スーさんとの放送ではめちゃくちゃ気心知れた女友達同士のお喋りといった風情で話されているのを聴いて、ああ、このお二人はとっても仲がいいんだなぁと、ラジオ越しにそれはそれはよおーく伝わってきたものだった。

ところが、ある時期の改編で「生活は踊る」の金曜の放送がなくなることになった。聴取者としては、盟友堀井美香さんの気持ちはいかばかりかと、それって普通に絶対にとんでもなくショックだと思うけど、大丈夫なのだろうか、と、勝手に心配になっていた。

けれど、そんな心配はあっさりと覆された。時を同じくして、お二人のポッドキャスト番組「OVER THE SUN」が始まり、ジェーン・スーさんの「ミカちゃん、私たちはポッドキャストだよ」の言葉通り、番組はまたたく間に大人気となった。ラジオという枠を超えたお二人の喋りには、ますますドライブがかかり、実に生き生きとした女友達とのくだらないマシンガン爆笑トークに、一緒に参加しているような気分になれた。

そこで『一旦、退社。~50歳からの独立日記 』である。ナレーションが大好きだとおっしゃる堀井美香さんが、2022年にTBSを退社されフリーランスになってからの1年を記録したのが本書だ。

フリーランスでの活動内容や、ご家族やご自身のお話、朗読に対する思いとともに、「生活は踊る」の金曜放送がなくなった時の心境や「OVER THE SUN」が始まった背景などが書いてあった。泣けた。
ジェーン・スーさんとの出会いからこれまでのことも書かれていた。これは、この本は、間違いなく堀井美香さんからジェーン・スーさんへの、まごうことなきラブレターであった。

音声配信はますます隆盛を極め、プラットフォームも百花繚乱、いまや大沢悠里さん&毒蝮三太夫さんもポッドキャストを配信する時代(現在は終了)。これからも「スーミカ」お二人の活躍が楽しみでならない。

 

 

 

『精神の生活』クリスティン・スモールウッド/佐藤直子訳|終わりをめぐる物語

 

 

『精神の生活』
クリスティン・スモールウッド 著
佐藤直子 訳
書肆侃侃房
初版年月日 2023年8月4日


これまでになかった、“はじめて「流産」をテーマにした小説”という触れ込みに惹かれて本書を手に取った。

主人公のドロシーは、ニューヨークの大学で文学を教える非常勤講師の30代の女性で、今すぐに何か生活に困窮しているわけではないが、日々一生懸命働いていても、将来のための貯蓄や住居の購入などはできない、不安定な非正規雇用者だ。

そんな中、予期せぬ妊娠からの流産が確定し、大学の図書館のトイレで出血している場面から、本書はスタートする。いわゆる病院での吸引処置は行わずに、処方薬によって自然に体外に排出される方法を取っており、出血がしばらく続いている状態だ。

しかし意外にも、流産にまつわる話は、割合としてはそれほど多くは出てはこない。
ドロシーは、大学の授業をこなしながら、セラピストのもとへ通い、息子を出産した親友とメッセージのやりとりをしたり、仲間のホームパーティーに行ったり、学会でラスベガスに出張したりするのだが、一見して出来事だけ見れば、特に多くのことが起こるわけではない。そんな彼女の日常の生活が、ときおり現れる流産の現象とともに、淡々と描かれている。

その文章の大部分が、彼女の頭の中の独白で占められており、なるほどこれがタイトルの「精神の生活」の意味だったのか、と、最後の訳者解説を読んでようやく理解した。この訳者解説が非常に素晴らしく、これを読むだけでも本書を読む価値があるのではないかと感じた。
私はネタバレ回避のため、あとがきや解説は、本文を読み終わってから読むことにしているけれども、本書においては、最初にあとがきと訳者解説を読んでから本文を読んだほうが、より理解が進むと思う。

訳者佐藤直子さんの、しびれる解説の冒頭はこうだ。

「2021年に出版されたクリスティン・スモールウッド(Christine Smallwood)のデビュー長編小説である本書は、終わりをめぐる物語である。妊娠の終わり、キャリアの終わり、若さの終わり、世界の終わり、何かを求めることの終わり。より正確に言うならば、それは決定的な結末を迎えられずに物事がだらだらと終わり続ける、終わりのない終わりのプロセスについての物語である。」

何かオチがあるのかといえば、ない、と言って差し支えないだろう純文学的な小説で、私の読解力では、あまり読むのに得意な文章ではなかった、というか相当難儀したのだが(一文が長く、三人称の“彼女”という表記が頻出するが、その“彼女”が、誰のことを指すのかよくわからないことがままあった)、これは主人公ドロシーの脳内の独白をそのまま記したものなんだな、と思って再読してみると、すごくわかりやすい感じがした。

そしてこのドロシーの、自身の体や周囲の出来事をひたすら観察して、そこから発せられる心の動きが克明に記されているさまが、非常にユニークで面白かった。

たとえば、診察に訪れた産婦人科の待合室のBGMに関する描写であったり、

「これまでに世界中で録音されたすべての曲のリストから、誰かがこの曲をここで、この環境でかけることを選んだのだ。というかむしろ、誰かがこの音楽のような音楽を選んだのだ。ジャンルをセレクトして、あとはコンピューター任せ。この経験は、現代世界における多くのことと同じように、最低限の人間の意図/働きかけによってキュレーションされていた。」P87

同僚にむかつく言葉を投げかけられて、イラついているところの描写なんかがよかった。

「「秋の就活頑張ってね」というのが最後にエリースの言ったことだった。「結果を教えてね」。このドロシーの身分の低さと市場の浮き沈みへの言及とともに、共に過ごした時間に築かれたいかなる絆も切断されておじゃんになった。ドロシーはホテルのベッドで遅くまで起きて、怒り狂って携帯をクリックしまくり、ニュースの見出しを読み、友人とかれらの休暇、かれらの子供、ペット、ウケるからという理由で撮られた看板とデコナンバープレート、着ぐるみを着た猫、夕食、元気な緑色でつやつやした、かれらの美しい観葉植物の新しい写真に「いいね」しまくった。」P201

授業の前の時間を過ごすのに、非常勤講師室ではなくあえて教室に行くところや、最後の方の、図書館でコピー機を利用するのに一悶着するところなどに、非正規雇用者の不安とやるせなさと苛つきが鮮やかに表現されていたように思う。
自分は出世レースから脱落し、同僚が地位を勝ち取っていくシーンは胸が痛むし、親友ギャビーの最後の出来事は、ドロシーには大分キツいと思うのだが、それさえも淡々と書いてあって、傍観者ここに極まれりだなぁと、逆に感心してしまった。

また、博論指導教授のジュディスが団塊の世代で、老後の不安などなく蓄財できているのに対し、団塊ジュニア世代のドロシーが将来のぼんやりとした不安にさいなまれている様子は、アメリカでも日本と同様の世代間格差があることを示しており、私を含む団塊ジュニア世代以降の方々には大いに刺さる小説だと思う。

✴︎

余談だが、今年2023年の夏は、暑くて長くて本当に酷いもので、全く読書がはかどらなかった。とにかく「熱中症にならない」ことを目標に、最低限の日常生活をどうにかこなし、後はひたすら冷房を効かせまくった部屋の中でじっとしていることしかできなかった。

家事や買い物など、何かをする度に滝のように汗をかくから、その都度いちいちシャワーを浴びなければならなず、そうした暑さに起因する全てに、体力を奪われていると感じた。もしいま自分が高齢者だったら、フレイル待ったなしだろう、と恐怖だった。

東北でも北海道でも猛暑日の連続であったとなると、一体どこならいいのか図りかねているが、「夏は避暑地で暮らす」というのが、今のところの切実な将来の夢だ。