読谷文の本棚

読んで心に残った本の感想を綴ります。

『精神の生活』クリスティン・スモールウッド/佐藤直子訳|終わりをめぐる物語

『精神の生活』
クリスティン・スモールウッド 著
佐藤直子 訳
書肆侃侃房
初版年月日 2023年8月4日


これまでになかった、“はじめて「流産」をテーマにした小説”という触れ込みに惹かれて本書を手に取った。

主人公のドロシーは、ニューヨークの大学で文学を教える非常勤講師の30代の女性で、今すぐに何か生活に困窮しているわけではないが、日々一生懸命働いていても、将来のための貯蓄や住居の購入などはできない、不安定な非正規雇用者だ。

そんな中、予期せぬ妊娠からの流産が確定し、大学の図書館のトイレで出血している場面から、本書はスタートする。いわゆる病院での吸引処置は行わずに、処方薬によって自然に体外に排出される方法を取っており、出血がしばらく続いている状態だ。

しかし意外にも、流産にまつわる話は、割合としてはそれほど多くは出てはこない。
ドロシーは、大学の授業をこなしながら、セラピストのもとへ通い、息子を出産した親友とメッセージのやりとりをしたり、仲間のホームパーティーに行ったり、学会でラスベガスに出張したりするのだが、一見して出来事だけ見れば、特に多くのことが起こるわけではない。そんな彼女の日常の生活が、ときおり現れる流産の現象とともに、淡々と描かれている。

その文章の大部分が、彼女の頭の中の独白で占められており、なるほどこれがタイトルの「精神の生活」の意味だったのか、と、最後の訳者解説を読んでようやく理解した。この訳者解説が非常に素晴らしく、これを読むだけでも本書を読む価値があるのではないかと感じた。
私はネタバレ回避のため、あとがきや解説は、本文を読み終わってから読むことにしているけれども、本書においては、最初にあとがきと訳者解説を読んでから本文を読んだほうが、より理解が進むと思う。

訳者佐藤直子さんの、しびれる解説の冒頭はこうだ。

「2021年に出版されたクリスティン・スモールウッド(Christine Smallwood)のデビュー長編小説である本書は、終わりをめぐる物語である。妊娠の終わり、キャリアの終わり、若さの終わり、世界の終わり、何かを求めることの終わり。より正確に言うならば、それは決定的な結末を迎えられずに物事がだらだらと終わり続ける、終わりのない終わりのプロセスについての物語である。」

何かオチがあるのかといえば、ない、と言って差し支えないだろう純文学的な小説で、私の読解力では、あまり読むのに得意な文章ではなかった、というか相当難儀したのだが(一文が長く、三人称の“彼女”という表記が頻出するが、その“彼女”が、誰のことを指すのかよくわからないことがままあった)、これは主人公ドロシーの脳内の独白をそのまま記したものなんだな、と思って再読してみると、すごくわかりやすい感じがした。

そしてこのドロシーの、自身の体や周囲の出来事をひたすら観察して、そこから発せられる心の動きが克明に記されているさまが、非常にユニークで面白かった。

たとえば、診察に訪れた産婦人科の待合室のBGMに関する描写であったり、

「これまでに世界中で録音されたすべての曲のリストから、誰かがこの曲をここで、この環境でかけることを選んだのだ。というかむしろ、誰かがこの音楽のような音楽を選んだのだ。ジャンルをセレクトして、あとはコンピューター任せ。この経験は、現代世界における多くのことと同じように、最低限の人間の意図/働きかけによってキュレーションされていた。」P87

同僚にむかつく言葉を投げかけられて、イラついているところの描写なんかがよかった。

「「秋の就活頑張ってね」というのが最後にエリースの言ったことだった。「結果を教えてね」。このドロシーの身分の低さと市場の浮き沈みへの言及とともに、共に過ごした時間に築かれたいかなる絆も切断されておじゃんになった。ドロシーはホテルのベッドで遅くまで起きて、怒り狂って携帯をクリックしまくり、ニュースの見出しを読み、友人とかれらの休暇、かれらの子供、ペット、ウケるからという理由で撮られた看板とデコナンバープレート、着ぐるみを着た猫、夕食、元気な緑色でつやつやした、かれらの美しい観葉植物の新しい写真に「いいね」しまくった。」P201

授業の前の時間を過ごすのに、非常勤講師室ではなくあえて教室に行くところや、最後の方の、図書館でコピー機を利用するのに一悶着するところなどに、非正規雇用者の不安とやるせなさと苛つきが鮮やかに表現されていたように思う。
自分は出世レースから脱落し、同僚が地位を勝ち取っていくシーンは胸が痛むし、親友ギャビーの最後の出来事は、ドロシーには大分キツいと思うのだが、それさえも淡々と書いてあって、傍観者ここに極まれりだなぁと、逆に感心してしまった。

また、博論指導教授のジュディスが団塊の世代で、老後の不安などなく蓄財できているのに対し、団塊ジュニア世代のドロシーが将来のぼんやりとした不安にさいなまれている様子は、アメリカでも日本と同様の世代間格差があることを示しており、私を含む団塊ジュニア世代以降の方々には大いに刺さる小説だと思う。

✴︎

余談だが、今年2023年の夏は、暑くて長くて本当に酷いもので、全く読書がはかどらなかった。とにかく「熱中症にならない」ことを目標に、最低限の日常生活をどうにかこなし、後はひたすら冷房を効かせまくった部屋の中でじっとしていることしかできなかった。

家事や買い物など、何かをする度に滝のように汗をかくから、その都度いちいちシャワーを浴びなければならなず、そうした暑さに起因する全てに、体力を奪われていると感じた。もしいま自分が高齢者だったら、フレイル待ったなしだろう、と恐怖だった。

東北でも北海道でも猛暑日の連続であったとなると、一体どこならいいのか図りかねているが、「夏は避暑地で暮らす」というのが、今のところの切実な将来の夢だ。