読谷文の本棚

読んで心に残った本の感想を綴ります。

『ネアンデルタール』レベッカ・ウラッグ・サイクス/野中香方子 訳|眼前に広がるネアンデルタール人の豊かな世界

 

ネアンデルタール
レベッカ・ウラッグ・サイクス 著 
野中香方子 訳
筑摩書房
初版年月日 2022年10月11日


原題「KINDRED:NEANDERTHAL LIFE,LOVE,DEATH AND ART」
「親戚:ネアンデルタールの生活、愛、死、そして芸術」


(ホモ・サピエンス含む)人類が、まだ文字を持たず、定住・農耕する以前の、先史時代の話が好きだ。
きっかけは「そもそも人体の脳や作りは、農耕にも、デスクワークにも、ワンオペ育児にも向いておらず、集団での狩猟採集生活に最適化した形になっている」という話を聞いたことだ。
現代の都市生活では、狩猟採集生活を送るわけにはいかないけれども、時間を見つけて身体を動かしたり、できれば走り回ったりするほうが、心身の健康を保つためには理にかなっているよな。だってそういう前提の作りになっているのだから。と、激しく腑に落ちた。
いや、それは「運動の神話」なんだ、という説もあるようだけれども。

そういうわけで、本書『ネアンデルタール』はとても興味深く、エキサイティングな本だった。
研究者である著者は、最新の研究を元にした様々な文献を紐解き、我々の親戚であるネアンデルタール人の生活を、まるで目の前で見てきたかのように、非常に鮮やかに描き出してくれた。

「この先のページには、21世紀のネアンデルタール人の肖像が描かれている。系統樹の枯れた枝にいた頭の鈍い負け犬としてではなく、非常に適応力があり、成功さえを収めた古代の親戚として。」(P17)


彼らの生活

彼らは、我々が生きたよりもはるかに長い時間、35万年もの間にわたって、大きな気候変動を何度も乗り越えながら、この地球上に存在していた。
有能な革の加工職人であり、精巧な石器を作るために、「質の良い石/悪い石」といった石の種類を熟知していて、今で言うところの地質学や物理学、運動力学に精通していた。
食料となる動物を解体するための解剖学にも優れ、自分たちの住む世界をとてもよく理解し、季節ごとに動物を追って、選択的に移動地点を決めていた。
加熱による物質の変化の知識があり、天然アスファルトや、樹脂と蜜蝋を混ぜた接着剤を使って石器を作っていた。
極寒の地で氷の息を吐きながらマンモス追っていただけでなく、ヨーロッパから中央アジアまで広範囲にわたって温暖な山地や海辺でも生活していて、鳥や植物や魚介類も食べていた。
彼らの家族像、怪我や病気にかかった同胞をケアして、そしてどう生き延びたか。
彼らの生活の細部を知れば知るほど、多くの驚きに満ちており、それらを描写する生き生きとした筆致に、大いに引き込まれながら読んだ。


研究者たち

さらに驚かされるのが、これらを解明してきた、研究者たちの地道な研究と、今世紀に入ってから急速に発展した科学技術の進歩である。さながら時空を超えた科捜研だ。
化石人骨の、歯にできた傷や成長速度、付着した歯石を、電子顕微鏡化学分析を使うことによって、気候変動や食べたもの、歯を使ってどういった作業をしていたか(革なめしなど)、食事に利用した石器の種類まで判別できてしまう。
最も驚いたのは、石器そのものではなく、石器を作るときに出た破片を残らず回収して、元の石塊に戻すという、いわばとんでもなく難しい4次元のジグソーパズルを完成させることによって、石器の作成過程を特定した、ということである。
この気の遠くなるような地道な作業には、本当に驚かされた。

「この10年はネアンデルタール人の時代だった」(P584)と言われるほど急速に研究が進み、ホモ・サピエンスネアンデルタール人が交配していたこと、我々のDNAの中にネアンデルタール人のDNAが数パーセント含まれていることが判明したことは、人類学史をゆるがすビッグニュースだったことだろう。
今後も新たな発見が続くことは間違いない。研究者に敬意を示しつつ、新たな事実の発見は読者として楽しみだと言うほかない。

 

我々はどこから来てどこに行くのか

著者はこう書いている。

「基本的に、わたしたちが長年、ネアンデルタール人の運命に執着してきた背景には、私たち自身の絶滅に対する強い恐れがある。(中略)私たちは絶滅の危険性を感じると、決まって私たちは常に生き残ったと言う心地よい話を聞きたがる。さらに、自分たちは特別だ、と感じたがる。そういうわけで、ネアンデルタール人についてわたしたちが聞かされた話のほとんどは、私たちは優秀で、生き残りを運命づけられていたので、彼らに勝ったと言う、自己陶酔的で励まされる物語だった。
しかしネアンデルタール人は本物の人間に向かう高速道路の途中にあるサービスステーションのような存在ではない。彼らも最新技術を備えた人間だったが、私たちとは種類が違っていただけなのだ。」(P575)

彼らを知ることは、わたしたちを知ることでもある。
著者はエピローグで、パンデミックと気候変動について触れている。産業革命以降、次の氷期は無期限に延期され、わたしたちはこれまでに誰も経験したことのない、気温が高く危険な世界で生きることになると。
ネアンデルタール人も同じように極端な気候変動を生き抜いたという事実は、わたしたちにとって慰めになるかもしれない」(P586)が、当時の地球と現在の地球とでは、絶望的な負荷の差があるのも事実だ。COVID-19による世界的なパニックが示したように、文明とテクノロジーの力をもってしても、どれだけ持ちこたえられるのかは誰にもわからない。

わたしたちにできるのは、驕ることなく謙虚に学び続けることだろう。
そして人類の叡智を信じたいし、信じて歩むことしかできない。

 

構成

丁寧で読みやすい訳文と、豊富な索引、簡潔にして十分な図が載せられていて、非常にわかりやすく、地質学や古気候学にくわしくない私でも、すいすい読み進めることができた。
惚れぼれするほどシンプルで潔い装丁がとても素敵で、見返しに印刷された地図と年表は実用的で、何度も本文と照らし合わせた。

ネアンデルタール人の生活のみならず、研究者たちの発掘の歴史の物語としても、抜群に面白く、2021年ニューヨークタイムズ「今年の100冊」に選出され、19カ国で翻訳された世界的ベストセラー、というのも納得の一冊だ。

また、副読本として、色鮮やかな写真が豊富に掲載された下記の本も、大変興味深く、理解に役立った。