読谷文の本棚

読んで心に残った本の感想を綴ります。

『成瀬は天下を取りにいく』宮島未奈|膳所(ぜぜ)から世界へ!ニュー・ヒロイン、滋賀に現る

『成瀬は天下を取りにいく』
宮島未奈 著
新潮社
初版年月日 2023年3月17日


終始、眩しくて仕方なかった。
清々しいまでの溢れる滋賀愛、そして、なんてことない日々だからこその青春の日常が。あった、あったよ、こういうの。と読者自身の中高生時代を思い出さずにはいられない。

本書は、静岡県出身、滋賀県在住の著者、宮島未奈さんのデビュー作で、2006年生まれの主人公、成瀬あかりの中2から高3までを描いた連作短編小説だ。本人の1人称の語りではなく、周囲の人物から見た成瀬あかり史が語られていく。
「RPGの村人みたいな口調」(P146)で話す成瀬あかりの特異なキャラクターの魅力は言うまでもなく、そんな成瀬と、かるた大会出場のため広島から来た青年西浦を描いた『レッツゴーミシガン』も大好きなのだが、個人的にいちばん刺さったのは『線がつながる』だ。


『線がつながる』

膳所(ぜぜ)高校1年生、成瀬あかりと同じ中学から来た唯一のクラスメイト大貫かえで。新入学後の学校生活における、新たな友人づくりにまつわる逡巡が、懐かしくも苦しく思い出される。成瀬あかりの親友で、2人とは別の高校に進学した島崎みゆきと、大貫かえでが下校中に偶然会う場面。

「また成瀬のこと教えてね」
島崎は手を振って去っていった。私に興味がないにしても、そんな言い方はないんじゃないか。(P122)

そんな些細だけれど確実に寂しさを感じる一瞬をを見事にすくい上げている。と思いきや、大貫かえでと一緒にお昼を食べている大黒悠子からは、

「かえでって、わたしのことどうでもいいと思ってるでしょ」
「わたしに興味がないんだろうなって前から思ってたの。それは仕方ないことかもしれないけど、明らかにこっちに伝わっちゃうのはどうなの?」
(P130)

と、かえで自身がカウンターをくらって狼狽する。こうした心の動きが、まるでカメラのシャッターを押されたかのごとく鮮明に描写されていて、胸をぎゅうっとつねられる。さらに、一見関係ないように思われた登場人物たちが、すべての章を通して、きちんと、きれいにつながっていくのが実に見事だなあと思った。


成瀬とパンデミック

さらに言うならば、『ありがとう西武大津店』で描かれた西武大津店が閉店するのは2020年8月で、新型コロナウイルス禍の真っ只中なのである。そこに描かれているのは、いわばコロナ禍の青春であって、「ソーシャルディスタンス」とか「小池百合子みたいなレースのマスク」とか、もはや懐かしさすら覚えつつある用語がでてきて、ああそうだった、と当時の緊迫感と風景がまざまざと思い出される。ダイヤモンド・プリンセス号、一斉休校、そして東京オリンピックの延期が決まった、あの年の夏が。

コロナ禍が描写された作品は他にもあるだろうが、本書も間違いなくそのひとつで、その意味では「パンデミック小説」とも言える。であるならば、この『成瀬は天下を取りにいく』は、“21世紀の『ダロウェイ夫人』”と呼んでも差し支えないのではないだろうか。それぐらい鮮やかに当時の状況と空気を書き切っていると思う。

 

滋賀愛

そしてこの小説の読みどころといえばやはり、成瀬あかりと同じぐらい魅力的に描かれた滋賀の描写だろう。読めば、きっと聖地巡礼をせずにはいられない。茨城県在住のわたしは「滋賀県、羨ましっ!」と心の底から思った。

わが茨城県には、琵琶湖に次いで2位の面積を持つ湖、霞ヶ浦があり、県外から釣り人や自転車乗りもやって来る。が、そこで泳ぐ人は基本的にゼロだ(と思う)。つまり泳げる所ではないし、何なら周辺では泥の中で育つ蓮根と、汽水域の沼で採れるしじみの産地として有名で、なんというかイメージ的に文字通り泥くさいのだ。
霞ヶ浦からは、百人一首にも登場する筑波山が遠く臨めるが、比良山系の雄大さには敵わない(ような気がする)。広大な太平洋には面していて、大洗などの一部地域では泳げるし、他県からサーファーもやって来るが、九十九里や湘南のようなリゾート感はない。 

そう、ほしいのはリゾート感。湖水浴のできるリゾート感に、最も憧れてしまう。2022年の都道府県魅力度ランキングでは、滋賀県38位、茨城県46位(で最下位を佐賀県に奪還されてしまった)だそうだが、ついつい自虐に走りがちな茨城県民にとって、直球の滋賀愛に溢れた『成瀬は天下を取りにいく』は、もう眩しくて仕方がないのであった。