読谷文の本棚

読んで心に残った本の感想を綴ります。

『母という呪縛 娘という牢獄』齊藤 彩

講談社
初版年月日 2022年12月14日

2018年、母親による娘への長期間わたる苛烈な教育虐待の果てに起きた、娘による母親殺害事件。
本書は加害者である娘への取材をまとめた手記である。


中学受験にはじまり、医学部受験9浪を経て、看護学科への入学を果たし、看護師としての内定が出ていたものの、助産学校への進学を強要された果てに、娘は母の殺害を決意し実行する。
娘は母親の遺体をバラバラにして可燃ゴミとして処分するも、大きくて解体できなかった体幹部を河川敷に遺棄し、後に発見されたことから事件は発覚する。


恐ろしい話であった。
バラバラ殺人が恐ろしいのではない。
長年にわたる母娘2人きりの家庭内での精神的・肉体的虐待のさまが、猛烈に恐ろしかった。
そこで行われていた暴言・暴力が詳細に書かれていて、これが身も凍るほど恐ろしい。
鉄パイプだの、やかんの熱湯だの、深夜の土下座だの、どこの半グレ集団の話なのかと思わせるような物騒なものがわんさか出てくるし、LINEのやりとりなどに見られる暴言、叱責、罵倒の嵐は凄まじく、読むに堪えない。

娘はこの環境から逃れようと、何度も何度も家出を決行するのだが、探偵まで使って連れ戻される。
そして母親から、「また逃げてもいいよ。でも、お母さんはまた探すよ。◯◯ちゃんが合格するまで、ずっと。それでもいいの?」とまで言われる。
まだ18〜20歳前後で、経済力もなく、圧倒的な経験値の差と権力勾配のある養育者からここまでされては、とても逃げ切れないと諦めて従うことしかできないだろう。


正直なところ、母親の異常さがきわだっていて、娘には共感してしまう。
もちろん殺人や死体遺棄・損壊は犯罪だ。それはわかってはいても、自分が同じ立場だったら同じことをしてしまうかもしれない、と。
常に監視下にあるストレスに晒されながら、正常な判断力を持ち続けること自体が相当に難しいだろう。


【以下、本書の結末に言及しています。本書未読の方はご自身の判断でお読みください。】


娘は当初、「死体遺棄・損壊だけなら執行猶予だ」と、母親は自殺したことにして殺害を否認し、母親の死因不明のまま、懲役15年の実刑判決が出る。
長年にわたる母との地獄のような生活を、誰にも理解されると思わず相談もできなかった娘が、一審での大津地裁裁判長の説諭によって「初めて自分の苦しみを理解してくれた人がいた」と心を動かされ、二審大阪高裁で殺害を認めるまでの経緯は圧巻で、涙なしには読めない。

裁判長が一時間近くをかけて判決文を読み上げているのを聞き、一審の判決文を何度も何度も読み返すうちに、娘は「母を殺害するまでの私を、ずっと横で見ていたかのようだと感じた」と綴っている。


「誰にも理解されないと思っていた自分のしんどさが、裁判員や裁判官に分かってもらえたーー嘘をついているのに。
それが嬉しくて、ありがたくて心が救われたようだった。
もう、嘘をつくのはやめよう。
父も弁護士も、本当の私を受け入れてくれるだろう。控訴審できちんと打ち明けて、真相を知ってもらおう。ようやく、迷いはなくなった。」


そして、長年にわたり母娘とは別居生活を送っていたため、事件前には月に一度だけ顔を合わせ、当たり障りない会話をするだけの“知り合い”でしかなかった父親が、「なぜ殺人者である自分を支援してくれるのか」と問う娘に対し「家族だから」と答え、変わらずに受け入れてくれたことも、娘にとっては大きな救いとなっている。

事件後も職場をクビにはならず、娘の寮を引き払うのを手伝ってくれる同僚もいた父。
逮捕後の娘への面会や手紙を欠かさず、物心両面での細やかな支援に尽力してくれる父。
願わくば、悲劇が起こる前に、父親には家庭内でその力を発揮してほしかった。
が、彼も破綻した結婚生活の中で、どうにか妻から自分自身の心を守りながら、家族の生活を支えることに精一杯だったのではないかと想像する。


忘れられない一冊だ。
事件を知って「とても他人事とは思えない」と思ったと、著者は言う。
事件記事への反響の多さに、同じような親子関係に悩んでいる人がこんなに沢山いるのか、と感じたそうだ。
その人たちに届くようにと、本書を世に出してくれた著者と娘の尽力に敬服する。

 

【追記】
2023/2/14に著者の齊藤彩さんのインタビューが公開されています。
著書執筆への思いが詳しくまとめられていてとてもよかったので、併せてぜひご一読を。