読谷文の本棚

読んで心に残った本の感想を綴ります。

『ある行旅死亡人の物語』武田 惇志・伊藤 亜衣

 

 

毎日新聞出版
初版年月日 2022年11月29日

内容紹介

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はじまりは、たった数行の死亡記事だった。警察も探偵もたどり着けなかった真実へ――。 「名もなき人」の半生を追った、記者たちの執念のルポルタージュ。ウェブ配信後たちまち1200万PVを獲得した話題の記事がついに書籍化!

2020年4月。兵庫県尼崎市のとあるアパートで、女性が孤独死した。現金3400万円、星形マークのペンダント、数十枚の写真、珍しい姓を刻んだ印鑑鑑......。記者二人が、残されたわずかな手がかりをもとに、身元調査に乗り出す。舞台は尼崎から広島へ。たどり着いた地で記者たちが見つけた「千津子さん」の真実とは?「行旅死亡人」が本当の名前と半生を取り戻すまでを描いた圧倒的ノンフィクション。

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「あの話」

本書の、上記の紹介文を見たときに、私はすぐに「ああ、あの話だな」とわかった。
もともとウェブ記事として公開されたものを書籍化したのが本書だが、私はすっかり勘違いをしていて「確かテレビか何かで放送されていた話ではなかったか」と思っていた。
それほど、千津子さんという名の女性の写真が、鮮明に脳裏に焼き付いていたからだ。

改めてウェブ記事と本書の内容を読み比べてみると、ウェブ記事の内容に加えて、さらに詳細な取材経緯が描かれていて、取材記者2人がタッグを組み、警察も探偵も成し得なかった身元判明にたった1ヶ月でたどり着くスピード感に、ぐいぐい引き込まれながら読んだ。

なかでもやはり、千津子さんの住んでいた部屋の防犯態勢(2本の追加ドアチェーン、ブザー、窓のつっかえ棒)と、ベビーベッドの着せ替えされたクマのぬいぐるみ、そして写真の中で微笑む千津子さんの笑顔の対比に、どうにも心を惹きつけられた。
部屋の様子は明らかに不穏な空気が満ち満ちているのに、写真の中で穏やかに微笑む千津子さんは、実に幸せそうだからだ。
(もっとも、古いアパートでの女性の一人暮らしであればそのくらいの防犯対策は当然、という意見にも頷けるけれども)

本書には白黒の写真が掲載されているが、ぜひとも元のウェブ記事でカラー写真を見てほしい。それほど写真の力が胸に迫ってくる。
千津子さんが育った海辺の集落の、快晴の空が目に眩しい。

のちにnoteで公開されている著者インタビューでも、写真の力に言及されていて、「写真がなければここまで取材しようと思わなかった」とおっしゃっていて、本当に取材の原動力になり得る、貴重な遺品だったと思う。

 

【ウェブ記事 前後編】

 

【note 著者インタビュー 前後編】

 


【以下、本書の内容に言及しています。本書未読の方はご自身の判断でお読みください。】

 

 

残された謎

唯一心残りなのは、なぜ千津子さんがひっそりと人目を忍ぶように暮らしていたのか、ペンダントや現金の謎、親兄弟と離れてからの生活の謎がわからなかったことだ。

「住民登録の職権消除」とは、

「本来ならば届出義務者が届出しなければならない転入・転出・転居届等を怠っていることが原因で、住民基本台帳と実態が一致していない状態を、職権により住民票を消除することで、住民基本台帳と実態を一致させ住民票の正確性を保つ」

ために行われるものだという。
つまり千津子さんはそこに間違いなく住んでいたのに、行政上は住んでいないという扱いになっていたのである。
労災保険も自分から断り、住民登録がない以上、当然保険証も所持していないため闇の歯医者に通う。
これらはどう考えても、世間から自分の存在を抹消するために、自ら行っていたと考えるのが自然だろう。でも、なぜ、なんのために??

私は書籍化にあたって、その謎が解明されたのでは、と期待して読んでいたので、そこが残念といえば残念だった。
けれども、それらの謎が解明されなかったのは無理もないことだし、仕方がない。
身内の方と幼馴染みの方が見つかって、財産が相続され、お骨が本来納まるべき所へ帰ることができただけでも、ハッピーエンドではあるのだから。

 

三菱 ギャランGTO-M II 

遺品の写真の中に、車の前に立った千津子さんが写っているものがある。
70年代に製造されていた、フェンダーミラーと四つ目ライトが特徴的なスポーツカー。
村井理子さん著『家族』(亜紀書房)の特設サイトにも、車種は違えど、似たような車の前で撮った写真が載っていたよな、と思い出した。
同じ時代の香りを感じた。

三菱 ギャランGTO-MⅡ

 

 

火車』について

私が「行旅死亡人」という単語を知ったのは、言わずと知れた不朽の名著、宮部みゆきさん著『火車』(双葉社新潮文庫)の中でだ。
……と思っていたら、本書の中でも早々に『火車』に言及されていた。

休職中の刑事のもとに「失踪してしまった婚約者の女性を探してほしい」との依頼が来る、という人探しのミステリーなのだが、この小説の中に、件の女性が、官報の行旅死亡人の欄を血眼になってめくるシーンがあるのだ。その理由が、悲しくて恐ろしくてたまらなく、今でもはっきりと覚えている。

単なる人探しだけにとどまらず、社会問題への警鐘にもなっていて、心底震える恐ろしい名著なのだ。未読の方はこの機会に是非。

 

 

共同通信 大阪社会部

それにしても、前回触れた『母という呪縛 娘という牢獄』の齊藤 彩さんに続き、今回の著者のお二人、武田 惇志さん・伊藤 亜衣さんも、共同通信 大阪社会部の記者さんだ。(齊藤 彩さんはすでに退職済)
お三方とも若手にしてこのような素晴らしい著書を出されるとは、すごいぞ、共同通信 大阪社会部。
これからもぜひ、素晴らしいノンフィクション書籍を出していってほしい。